to the north

北海道らしさってなんだろう?

道産子マインドのルーツを探す旅

岡本仁

札幌農学校初代教頭W.S.クラークの構想を元に1877年に建設された模範農場。現在の場所への移転が完了したのは1912年のこと。

札幌へ行く時はいつも朝早い飛行機に乗る。そうすると新千歳空港から電車に乗り換えて札幌駅に着くのが午前9時半前後になる。ホテルで荷物を預かってもらったらすぐにまた札幌駅に引き返し、地下鉄南北線で北18条駅まで。目指すは北海道大学(北大)だ。北大は札幌駅の北側にあって「正門」まで歩いて5分ほどの距離なのだが、キャンパスは何しろ広大で、自分が行きたい場所は札幌駅のふたつ先の北18条駅からのほうが近い。「環状門」から北大のキャンパスに入ると、すぐ右手に緑濃い敷地に赤いトタン屋根が印象的な木造の建物が点在する一画が見える。そこが最初の目的地「札幌農学校第2農場」だ。

札幌農学校は北海道大学の前身で1876年(明治9年)に開校された。開拓使からの招聘を受け、初代副校長としてアメリカのマサチューセッツ州からやってきたウィリアム・スミス・クラークは、着任早々に実践的な農業教育のための模範農場を構想した。それがこの第2農場である。北海道開拓のために、一戸の酪農家をイメージした模範農場でアメリカ式の大農経営を学ぶ場として造られたものだ。ひときわ高さのある模範家畜房(モデルバーン)は、アメリカ人の基本設計により建てられた日本最古の洋式農業建築で、落成は1877年。バルーンフレーム構造という建築法で建てられていて、19世紀中葉のアメリカでさかんに出版された開拓者のための建築手引書に、この模範家畜房に酷似したものが載せられているそうだ。

札幌農学校第2農場を構成する建築群のひとつ「モデルバーン:模範家畜房」はバルーンフレーム構造と呼ばれる、19世紀中葉のアメリカで採用されていた手法を採用。

何年か前にはじめてここへ来た時、好奇心というのか感傷というのか、そういう部分に触れる何か大きな閃きを与えられたような不思議な気持ちになった。ぼくは北海道夕張市で生まれて高校を卒業するまでそこに住んだ。だから、札幌農学校第2農場の建物を含めた敷地は、ある意味よく見る “北海道らしい” 風景のひとつである。それらをただ昔からあるものと思っていただけだったのだが、そのありふれた風景には「ルーツ」があって、そのルーツは日本に古来から続くものとは別の何かで、それが北海道の風土や気候条件に加わって出来上がっているから、日本の他の土地にはない独特な雰囲気や感覚があるのではないかという仮説が浮かんだ。おそらく調べれば知っていて当然のことかもしれないし、もしかしたら学校ですでに習ったことなのかもしれないが、この年齢になってようやく「知りたい」という意欲が自発的にわいてきたのだった。

北大キャンパス内にあるクラーク博士の胸像。「BOYS, BE AMBITIOUS(少年よ、大志を抱け!)」は、彼が札幌農学校を去る際に残した言葉。

第2農場を見学した後は、キャンパスを南に向かって歩き(かなりの距離で地下鉄だと北12条駅で降りて「北13条門」から来たほうが早い。つまり地下鉄ひと駅ぶん歩いたことになるが)「北海道大学総合博物館」へ行く。札幌農学校時代から収集・保存・研究されてきた標本や資料の一部が展示されている建物だが、ぼくのいちばんの目的は北大の歴史に関する展示だ。クラーク博士の言葉「少年よ大志を抱け」はもちろん知っているけれど、では、どうして彼は札幌へやってきたのだろうか。札幌へ来る前は何をやっていた人物なのだろうか。そもそもどうして札幌に農学校ができたのだろうか。いままで興味を持ったことがないのだから、恥ずかしいけれど知らないと正直に言うしかない。何に関しても「知りたい」というタイミングが訪れるのは、誰もが同じではないはずだ。歴史の授業に身を入れたことのないぼくは、いま頃になって「どうして?」という疑問符をたくさん抱えることになっているのだろう。

北大総合博物館の「北大の歴史」に関する展示の一部。札幌農学校以来の歴史と開学精神を紹介する。

北大の歴史に関する展示で最も印象的だったのは、矢内原忠雄の言葉だった。それは1952年に、東京大学総長だった彼が東京大学五月祭のスピーチとして語ったものだ。

「明治の初年において、日本の大学教育に二つの大きな中心があって、一つは東京大学で、一つは札幌農学校でありました。この二つの学校が日本の教育における国家主義と民主主義という二大思想の源流を作ったものでした。大雑把に言ってそういうふうにいえると思うのです。日本の教育、少なくとも官学教育の二つの源流が東京と札幌から発しましたが、札幌から発したところの、人間を造るというリベラルな教育が主流になることが出来ず、東京大学に発したところの国家主義、国体論、皇室中心主義、そう言うものが日本の教育の支配的な指導理念を形成した。その極、ついに太平洋戦争を引き起こし、敗戦後、日本の教育を作り直すという段階に今なっておるのであります」

札幌農学校は日本のリベラリズムの拠点だったと語った矢内原忠雄は、札幌農学校第3期生の鶴崎久米一が校長をつとめる神戸中学校から、札幌農学校第2期生の新渡戸稲造が校長をつとめる第一高等学校へ進み、この二人から強い影響を受けたのだという。
ちなみにぼくは矢内原忠雄の息子である矢内原伊作の著作のファンだ。伊作は、いま東京・乃木坂にある「国立新美術館」で開催されている彫刻家ジャコメッティのモデルを長く務めたことでも有名だし、彼の随筆集のタイトルである『歩きながら考える』という言葉は、ぼくの座右の銘でもある。伊作の父の忠雄が、札幌農学校から(間接的に)リベラルな精神を受け継いでいたのだという事実は、訳もなくぼくを嬉しい気持ちにしてくれた。

石田珈琲は自家焙煎の豆を売る店。喫茶スペースもあるので、その場で飲んでいくことも可能(札幌市北区北16条西3丁目1-18)。

博物館でクラーク博士を札幌に呼び寄せた人物は、元・アメリカ合衆国農務長官のホーレス・ケプロンと、元・薩摩藩士の黒田清隆だということも知った。大学生協で『W.S.クラーク その栄光と挫折』という本を買い、クラーク像や新渡戸稲造の像を眺めながら、来た道をゆっくりと戻って、また「環状門」からキャンパスの外に出る。そして以前から友人に薦められていた『石田珈琲店』でコーヒーを飲んでいくことにした。ぼくが東京の大学を卒業して札幌のテレビ局に就職した頃に、毎日のように通っていた『和田珈琲店』の和田博巳さんから焙煎を教えてもらったという人が開いた店。コーヒーを飲みながら、自分が札幌で過ごした2年間や、それ以前の生まれてから東京へ出るまでの18年間を思い出してみた。ぼくはどうしていままで北海道に対する郷土愛らしきものを持たなかったのだろうか。故郷が炭鉱町だったということが大きいのだろうか。ぼくが卒業した小学校も中学校も高校も、とうの昔に廃校になっている。石炭を洗わなくなったから川の水も黒くはなくなっているだろう。ズリ山もふつうの緑の山になっているだろう。でも、いまぼくは猛烈に北海道に愛着を覚えている。夕張ではなく北海道全体に。

コーヒーを飲んだら、ケプロンと黒田清隆の銅像があるという大通公園へ行ってみよう。

大通西10丁目の大通公園内にあるホーレス・ケプロン像(左)と黒田清隆像(右)。共に北海道開拓に大きな役割を果たした人物。

北海道らしさってなんだろう? 道産子マインドのルーツを探す旅 岡本仁

岡本 仁

1954年、北海道夕張市生まれ。大学卒業後テレビ局勤務を経てマガジンハウスに入社。『ブルータス』『リラックス』『クウネル』などの編集に携わった後に退社。2009年よりランドスケーププロダクツにてプランニングや編集を担当。著書に『今日の買い物』『続・今日の買い物』(ともにプチグラパブリッシング刊、岡本敬子との共著)、『ぼくの鹿児島案内』『続・ぼくの鹿児島案内』『ぼくの香川案内』(すべてランドスケーププロダクツ刊)、『果てしのない本の話』(本の雑誌社刊)、『ぼくらの岡山案内』(ランドスケーププロダクツ刊、坂口修一郎との共著)などがある。雑誌『暮しの手帖」『& Premium』でエッセイを連載中。

read more もっと見る

follow us フォローして最新のニュースを確認しよう