to the north

北海道らしさってなんだろう?

道産子マインドのルーツを探す旅

岡本仁

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大通公園の西10丁目に並んで建っているホーレス・ケプロンと黒田清隆の銅像を見た。薩摩藩士とマサチューセッツ州出身のアメリカ人が開拓使に大きく関わっていたことを台座のプレートであらためて確認し、自分が鹿児島とアメリカに強く惹かれる理由に、大きなヒントをもらったような気がした。いつかアメリカの東海岸を訪れる日が来るかもしれないと夢想しながら、とりあえず公園を東に向かって歩き始める。札幌の中心部は碁盤の目になっていて、大通公園は西1丁目から西12丁目まである。雪が溶けると花壇が整備され、市民や観光客の憩いの場になり、夏が近づくとビヤガーデンができてさらに賑やかになる。テレビ塔があるのは西1丁目だ。各丁目ごとに南北を結ぶ通りが交差するので信号があるが、大通公園の西9丁目と西8丁目だけはなだらかな丘のようにつながっている。そこをつなげたのは彫刻家イサム・ノグチのひと言だった。

1988年5月にノグチは自身の彫刻作品「ブラック・スライド・マントラ」を設置する場所として札幌市が用意した大通公園西9丁目を視察したが、そこではなく西 9丁目と西 8丁目を区切る道路の真ん中あたりにしたいと提案したそうだ。別に芸術家がわがままを言ったのではない。彼は西9丁目にすでにあったくじら山という人工の小山で子供たちが楽しく遊んでいる様子を見て、それを壊してまで作品を置きたくはないと考えたのだ。「ブラック・スライド・マントラ」は彫刻作品であると同時に滑り台でもある。ノグチ自身が「子供たちのお尻がこの作品を完成させる」と語っていたそうだ。つまり子供たちが自分の作品で遊ぶ姿を思い描いていたわけである。だからすでにある遊具はそのままにして、そこから別の滑り台に駆け寄っていけるように、間にある車道をつぶしてひとつながりの遊び場にしたいと思ったのだ。いまこの滑り台でもある彫刻作品には、ノグチが想像したとおり子供たちがいつも群がっている。

さすがに道路をつぶすとなると札幌市もすぐには動けなかったはずだ。いや、普通なら「先生、いくらなんでもそれは無茶です」ということになるに違いない。ましてや、イサム・ノグチは提案した直後の1988年暮れに急逝した。立ち消えになっても仕方がないだろう。ところが札幌市は故人の遺志を尊重しようと、西8丁目に仮置きした後に、数年かけて道路を塞ぎ「ブラック・スライド・マントラ」を現在の位置に設置しなおした。ちなみにぼくは1978年から81年まで札幌に住んでいたが、もちろんその頃は、大通公園の西8丁目と西9丁目を分断する道路はまだあったし、イサム・ノグチのことをぼんぼりみたいな照明をデザインした人くらいにしか思っていなかった。

テーブルやソファなどをデザインしたことも知っていたからインダストリアルデザイナーだと理解していたノグチが、彫刻家であるとぼくが意識したのは、実は香川県高松市牟礼にある『イサム・ノグチ庭園美術館』に行った時だから、わりと最近である。はじめて入った美術館で、アトリエ跡に置かれていた「ブラック・スライド・マントラ」のマケットを見た。実物は札幌市にあるらしい。自分が住んでいた頃の記憶をたどっても、それができた経緯を知らないからどこにあるのか見当がつかなかった。いつか札幌で実物を見てみたい。本当にしばらくぶりで札幌に行きたいという自発的な理由ができたのはこの時だった。そして設置場所などを調べていくうちに「モエレ沼公園」の存在も知った。雑誌のイサム・ノグチ特集か何かで写真を見ていたはずだが、それが札幌市に在るということはまるで眼中になかったのだろう。ブラック・スライド・マントラもモエレ沼公園も、いまでは札幌へ行く度に必ず寄る場所になっている。

今回は大通公園からタクシーを使うことにした。モエレ沼公園は公共交通機関で行くには少し不便な場所にある。タクシーの運転手さんに行き先を告げてから、ぼくは前夜にすすきので見て驚いた市電(路面電車)の話をした。何に驚いたかというと「西4丁目」と「すすきの」の間がつながって路線がループ状の内回りと外回りになっていたからだ。いままでつながっていなかったのは、市内でももっとも交通量の多い通りのひとつに新しい線路を敷くしかないからだったのだと思う。そこが去年の暮れにつながって、新しく「狸小路」という駅もできていた。ぼくは興奮気味に「こんな時代に新しい路面電車の線路を敷くなんて、札幌はすごく進歩的ですよね」と運転手さんに話しかけた。ところが運転手さんは「おかげで人の多い駅前通りで客待ちができなくなって困ってますよ」と応える。「でも、市電の乗客はループになってから増えたって聞きましたよ」とぼくが言うと、「いやあ、どうなんでしょうね。どっちにしても白石区に住んでるわたしにはあまり関係のないことだから」と軽く笑った。街全体をデザインする時には多数決では解決しないのだなと、ぼくはあらためて思った。明確な未来へのヴィジョンを持った人が全体をリードし、ときには独断でもって、批判されることをも恐れず前へ進まなければ、将来に向けた長期的都市計画はできないのではないだろうか。そんなことを考えているうちに、タクシーはモエレ沼公園の入口に着いた。お金を支払う時に運転手さんが「実は昔、ここを造る土木工事の仕事をしていたんですよ」と笑いながら言った。

モエレ沼公園に来るのはこれで5回目だ。まずは自転車を借りる。敷地は沼の水面をあわせると188ヘクタール以上。歩いて回るにはいささか広すぎる。どこに何があるかはだいたい頭に入っているので、自転車で走るのがいちばん便利だし楽しい。まずはモエレ山に行き、気持ちと体力に余裕があれば登る。それからモエレビーチや桜の森へ。次にプレイマウンテンを左手に見ながらテトラマウンドまで自転車を走らせベンチで一休み。気になるのは海の噴水の開演時間だ。短縮版と全長版があって、ハイライトは前半にあるから短縮版でも構わないが、後半の静かになってからの動きが素晴らしいので、可能な限り全長版を見る。最後にガラスのピラミッドに寄って、資料ビデオを見たりソフトクリームを食べたりする。だいたいそんな感じでまわると2時間では足りないくらいだ。

モエレ沼公園の完成までにどんなことがあったかについては、公園内の資料室やミュージアムショップで買った『イサム・ノグチとモエレ沼公園』(川村純一+斎藤浩二・著、戸矢晃一・構成、学芸出版社)という本で知った。以下はその本の要約である。

モエレ沼は蛇行した豊平川の一部が残ってできた沼地だった。1970年代に札幌の市街地を公園や緑地帯で包もうという「環状グリーンベルト構想」のひとつとして、モエレ沼を公園にする計画が立案された。造成のため不燃ゴミの処分場として埋め立てが始まったのは1979年(ちょうどぼくが札幌に住んでいる頃だ)。札幌市は何人かからの熱心な働きかけによってイサム・ノグチに公園の設計を任せたいと考えるようになり、候補地を3つ選んだ。3番目に付け足しのように加えられたゴミ処理場を1988年3月に視察したノグチは「すごく空が広い。ここには、フォルムが必要です。これは、僕のやるべき仕事です」と、雪がまだたくさん残りビニール袋が風に舞うモエレ沼を歩き出した。ノグチはこの年に合計4回も札幌を訪れている。1988年11月17日、高松市牟礼のアトリエでノグチはモエレ沼公園のマスタープラン模型を完成させた。この日はノグチの84歳の誕生日だった。そして12月30日、ノグチはニューヨークの病院で息を引き取った。

モエレ沼公園の中でとりわけ好きなのは「プレイマウンテン」だ。ぼくがいま勤めている会社がいちばん最初につくった店もプレイマウンテンという名である。もちろんイサム・ノグチへの尊敬から付けたものだ。イサム・ノグチのプレイマウンテンは、1933年、当時29歳だった彼が「大地そのものを彫刻として地球を掘る」という閃きをもとに考えた、子供のための遊び場の名前である。すぐにニューヨーク市に提案したが一笑に付されてしまったこのプロジェクトは、55年後に再び札幌市に提案され、そして受け入れられた。モエレ沼公園のグランドオープンは2005年7月。ノグチの死から17年が過ぎていた。

モエレ沼のプロジェクトに関わっていた人は、ノグチの死によって彼のマスタープランは反故になるだろうと考えたに違いないと想像する。ところが当時の札幌市長からすべてを任されていた桂信雄助役が、「私がイサム先生と約束したのだから」と公式の場でその意志を何度も表明したそうだ。この強いリーダーシップがなければ、イサム・ノグチの遺作でもあるモエレ沼公園は、まったく別の形になっていたかもしれないと思いながら、プレイマウンテンを眺めていたら、遠足に来ていたらしい子供たちが頂上から駆け下りてきた。スピードがつきすぎて転んでしまう子供もいたが、誰も泣いたりしない。むしろ笑声が大きくなった。子供たちの列の後ろから楽しそうにイサム・ノグチも一緒に駆け下りてきそうな、そんな美しい光景だった。

北海道らしさってなんだろう? 道産子マインドのルーツを探す旅 岡本仁

岡本 仁

1954年、北海道夕張市生まれ。大学卒業後テレビ局勤務を経てマガジンハウスに入社。『ブルータス』『リラックス』『クウネル』などの編集に携わった後に退社。2009年よりランドスケーププロダクツにてプランニングや編集を担当。著書に『今日の買い物』『続・今日の買い物』(ともにプチグラパブリッシング刊、岡本敬子との共著)、『ぼくの鹿児島案内』『続・ぼくの鹿児島案内』『ぼくの香川案内』(すべてランドスケーププロダクツ刊)、『果てしのない本の話』(本の雑誌社刊)、『ぼくらの岡山案内』(ランドスケーププロダクツ刊、坂口修一郎との共著)などがある。雑誌『暮しの手帖」『& Premium』でエッセイを連載中。

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