to the north

北海道らしさってなんだろう?

道産子マインドのルーツを探す旅

岡本仁

札幌の『二番通り酒店』が輸入する自然派ワインを、北海道へ来る度に飲むようになって、さらにお店にうかがって言葉を交わすようになったら、どうしてもインタビューをさせてもらいたくなった。業界的な空気をあまり気にせずに、自分の信じた道をまっすぐ進む姿を見ているうちに、それはオーナーの小林さん夫妻が道産子だからじゃないかと、何となく感じていたからだ。

(インタビューは今年の6月初旬に行ったものです)

ーお生まれは札幌ですか?
小林謙一(以下、小林):生まれたのは札幌、1982年です。その後すぐに親の転勤で東京に行き、東京で中学1年生まで育って、そのあとは親の実家が北海道なので戻ってきて、それからはずっと札幌です。

ー道内の札幌以外の街に住んだことは?
小林:ないです。ただ、うちの親は北見出身で、ひいおじいさんが屯田兵だったそうです。

ーいくつからお酒の世界に進もうと思ったのですか?
小林:もともと日本酒がすごく好きでした。日本酒の蔵で働いていたこともあります。有希と出会って「将来一緒に何かやりたいね」という軽い気持ちが、そのとっかかりだったんです。お酒が好きだし食べるのも好きだし、普通だったら「飲食店をやろうね」となるんでしょうけど、有希がふと「酒屋さんをやろう」と言い出しました。

それでまず修行をしようと思ったんですが、酒屋さんの業界ってなかなか厳しくて、人を雇うような余裕もないお店が多いし、いろいろやってみてもなかなか雇ってもらえる先が見つかりませんでした。ぼくの好きなお酒が『悦凱陣』だったので、有希が「そこに電話をしてみたらいいんじゃないかな」と言って、電話をして、「将来、酒屋になりたいのだけれど、なかなか働き先が見つからないから、自分の好きなお酒がどう造られているのか見てみたい」とお願いしてみました。7~8年前だったと思います。

ーそこには何年くらい居たんですか?
小林:ひと仕込み働いたら、酒屋さんを紹介してくれるというお話でした。『悦凱陣』は基本的に仕込み中は休みなしで、住み込みで働かなくちゃいけなくて、一所懸命そこで働いて、ひと仕込み終わった後に、丸尾忠興さん(悦凱陣の杜氏/蔵元)が、盛岡の『吟の酒 きぶね』というご夫婦二人でやられている酒屋さんか、横浜にある大きな酒屋さんか、どちらかを紹介してくださるとおっしゃって、ぼくらは夫婦二人で酒屋をやりたかったんで、悩まずに『きぶね』さんを紹介してもらって、そこがあったからいまの自分があるというぐらいにお世話になり、さんざん迷惑もかけてしまいました。

店頭販売だけで丸尾さんのお酒を含めた日本酒を扱っていて、店主ご夫妻に会いにくるお客さんが多いお店でした。でもそこで日本酒以外にもいろいろ勉強したほうがいいと言われて、『きぶね』さんはブルゴーニュのワインがお好きだったのでブルゴーニュのワインをすごく勉強して、ぼくもブルゴーニュのワインが好きになっていったんです。その当時のぼくはすごい生意気でしたから、いろんなことを教えていただいたにもかかわらず、自分が思い込むとその考えに固執しすぎてしまって言い争うこともあったり、なんか申し訳なく感じることばかりでした。

ー『きぶね』さんの影響で、日本酒からワインに興味が移ったということですね。
小林:そうです。それで有希とふたりでフランスでワインの勉強をしようと、フランス語もできないのにブルゴーニュに行き、ディジョンでアパートを借りて、語学学校にも通いました。1年間のワーキングホリデーで行ったんですけど、2ヶ月か3ヶ月目くらいにお金が尽きちゃって、もう食べるものもない。でもなんとかもうちょっと居たいと思って、ちょうど葡萄の収穫時期だったので、ブルゴーニュのドメーヌに翻訳ソフトで書いたメールをいろんな生産者にたくさん流して、その中の何軒かが受けてくれました。ブルゴーニュの収穫は1週間か2週間なんですけど、ふたりで別々なドメーヌで働けることになって、給料がもらえて、もうちょっとフランスに居られるようになって、お金があればさらにもうちょっと居られるんだなと思って、ロワールとかアルザスとかはまだ収穫中だったんで、そこにもメールしたら、『ドメーヌ・モス』(ロワール地方アンジュにあるドメーヌ。オーナーはルネ・モスと妻のアニエス)がそれを見て「1週間くらいなら来ていいよ」って言ってくれたんです。

小林:1週間でもありがたかったので一所懸命働いたら、さらにもう1週間収穫を手伝っていいよって。その間は住み込みで一緒に住まわせてもらって、食事も出してくれて、ぼくらはすごく楽しくて、そうしたら「収穫があと2週間あるから、ずうっと居ていいよ」って言ってくれて、その間も働いて、収穫が終わり、ぼくらもディジョンに戻ろうかと思っていたら、アニエスとルネが「もしよかったら、これから醸造もあるし、剪定もあるし、一緒に働いていかないか?」って提案してくれました。だから、アニエスとルネが居なかったら、そこでナチュールの勉強をしなかったら、いまのぼくらはなかったと思います。

ルネがすごいワイン好きの大男なんで、毎晩、ブラインドでワインを開けてくれてくれるんです(注:ブラインド・テイスティング=ワインのボトルを見えないようにして、飲んだワインの産地や銘柄を言い当てること)。将来は酒屋をやりたいという話をしていたので「だったら勉強しなきゃだめだ」ってルネが言って、毎晩のように開けてくれました。自分はブラインドが得意っちゃ得意なんですが、それもすべてルネのおかげで、最初は答えも言えないような感じだったんですけど、途中から自信もつきました。ルネの家にはいろんな生産者が遊びにきてブラインド大会みたいになるんです。そういうのにもいつも入れてくれて。本当は給料がもらえたんですけど、アニエスとルネに食べさせてもらって、家も一緒に住まわせてもらって、ブラインドでワインも開けてもらって、「いままでどおりここで働かしてくれて、いままでどおり飲ましてくれたら給料は要らないから」という話をしたら、アニエスたちもそれでいいよって言ってくれて、それからずっとモスでお世話になりました。

ーそれはいつ頃ですか?
小林:2012年の収穫から2013年の剪定が終わるくらいまで8ヶ月くらいですかね。ワーキングホリデーの残り全部です。モスのところには他の生産者がすごくたくさん訪ねてくるので、週末はそこで知り合った生産者を訪問させてもらって、畑を見せてもらって醸造所も見せてもらってっていうのを繰り返して、なんだかんだで数百軒はまわりました。

ーナチュールを生産者のそばで集中的に、実践的に短期間で学んだんですね。
小林:ワイン造りのことも学びつつ、日本のワインの輸入事情とか、いろんなことが生産者との話の中でわかりました。『きぶね』さんや丸尾さんから教えてもらう中で、日本酒は取引までに5回も6回も訪問してもお断りされて、それでも挨拶に行ってやっと取引ができて特約店になれる、その分、酒屋さんと蔵元の信頼関係ってすごく厚く、そういうのが当たり前だと思ってたんですけど、意外にフランスだとビジネスが前面に出てくるケースもあって、生産者も自分のお付き合いしているところの名前を知らなかったりする。そんな話を聞いてたら、自分たちは、直接、生産者に自分たちの思いの丈を話して、ワインを扱わせてもらえたら嬉しいなと思い始めました。いまも自分たちの好きな生産者と一緒に、毎年会えて毎年話せて、それを継続していけたら幸せだなというのが根底にあります。つまり『きぶね』さんや丸尾さんに教えていただいたことを、ワイン業界でやっていけたらなと思ったんです。

ーずっとそのままフランスに居続けたいと思いませんでしたか?
小林:フランスの人たちが好きになって、もっともっと長く居たかったんですけど、ぼくらはお金もなかったし、開業資金まで使ってしまったら夢もなくなっちゃうんで諦めました。その分、毎年ふたりで1ヶ月でも仕入れに行けたら、それをずっと、60歳、70歳になってもやっていけたら、フランス人とも長くつながって心の絆ができたら、それはそれで幸せだろうなと思って始めたのが『二番通り酒店』です。何も考えていなかったです。結果的に、最初ぼくらにワインを卸してくれたのが17生産者で、いまでは55生産者ぐらいまで、ちょっとずつちょっとずつ増えてきています。

ーフランスにはなくても、日本の業界の仁義みたいなことで、悪い評判があったっという噂を聞きましたが?
小林:いまも評判は悪いです(笑)。お店を始める際は1軒もお取引先がなかくて、0から始めてるいるので、そういう業界的な事情も知りませんでした。でも生産者に直接会って、生産者の思いを聞いて、生産者が納得してくれるのなら、ぼくはそれでいいと思っています。そのために、けっこう叩かれてしまうというのはありますけど(笑)。

ーそういうのはなんらかの対処をするんですか?
小林:いいえ、対処はしないです。ぼくは人生で喧嘩をしたことが一度もないですけど、店をやる上では「喧嘩上等」と思っていて、そこらへんはどんなことをやってても言われる時は言われるし、向こうも商売だろうから負けてもいられない。だから真面目にやるだけです。

うちで扱うワインについていちばん思っていたのは、好きな生産者とずっと末長くやりたいということです。それがいちばん大事だと思っているので、ぼくらも日本にまだ入っていないワインの生産者も訪問したけど、それを取引するかしないかは、それが日本で売れるか売れないかじゃなくて、ぼくらが生産者の哲学とか働き方が好きで、ぼくらがこの先ずっと一緒にやっていきたいかどうかのほうを優先します。もし下手に手をつけて数年後に「やっぱり要らない」みたいなことはしたくないし、そこが取引の時にいちばん大事にしていることです。最初に惚れ込んじゃったら、もうずうっと。きっとフランスでも「暑苦しい男」と言われてるんじゃないかと思うんですけど(笑)。

ー最初にフランスへ行くときは何を頼りに?
小林:ぼくらは『きぶね』さんでブルゴーニュのワインの勉強をしたので、ブルゴーニュの生産者に会いたかったし、畑を見たかっただけ。とりあえず日本で買ってきたブルゴーニュついて書いた本を読んで、これがこの畑だねと言いながら歩いたり。無謀だったかもしれませんが、運だけは良かった。アニエスとルネが居てくれなかったら、いまのぼくたちは居ないので。とにかくモス。

有希:生き方とか、そういうことも教えてくれるというか。自然に対する考え方とか、人と接するときの仕方とか。わたしたち二人ともフランス語をしゃべらないのに、全部受け入れてくれました。

ーモスの2人以外に影響を受けた人はいますか?
小林:『きぶね』さんです。あとは凱陣の丸尾さんですね。『きぶね』さんはいちばん商売の大事な部分を教えてくれたので、それだけにもうちょっとちゃんと恩返ししないとと思ってるけど、なかなか。ほんとにいいお店なんです。うちは店を始めるときに知り合いもいなかったんですけど、お花をいただきました。寂しい業界で優しくやっていくことも大切ですけど、『きぶね』さんは同時に戦うことも教えてくれたんです。『きぶね』さんは常に自分たちは侍だとおっしゃっていました。そういった意味で誇り高い酒屋さんだなって、こういう商売をしてみていろんな酒屋さんに会うようになってなおさら『きぶね』さんは誇りを持った酒屋さんだな、いいところで働けたなって思います。

ーこれぐらいの規模で、直接生産者と会って取引している店は、他にもあるんですか?
小林:名古屋に『まるまた』さんというお店があります。どうしても輸入のことがわからなかったので、1回だけ相談したことがありました。直接輸入している上で、ぼくらはワインをこっちにもってくる、苫小牧に着いて通関作業とか、裏のラベルを貼る作業もそうだし、港で積み替えて、こっちで搬入する作業とか、ぜんぶ自分たちでやっているのはうちくらいなのかな。どこにも仲介を任せてないので。というか、どうしていいのかわからないので、とりあえず全部自分たちでやってるんです。何も考えていない(笑)。それもフランスで学んできたことで、フランス人はなんでも自分たちで、たとえば薪を入れる小屋をつくるといって板を買ってくるんですけど、誰も何も考えてなくて、いざとなったら「じゃ、どういうふうにつくる?」って話を始める。みんなでワイワイいいながら、とりあえずやってみようかって。だからこの店のカウンターや棚も、とりあえず自分たちでやってみようかって。でもつくったことは一度もないんですよ。ただ、なんでも自分たちでやってみてやれないことはそんなにないんだなって思いました。そういう流れで輸入に関しても自分たちで。

ーお店ができたのはいつですか?
小林:2014年7月です。やっぱり札幌でやれているのがいいですね。東京とか大阪のほうが、インフラとかいろんなものが整っているので、あっちでやったほうがいいんでしょうが。この間、ワインを運んでくれる業者さんにも言われました。こっちのほうがフランスから持ってくることだけ考えたら高いし、たとえば東京のお取引先に送るときの送料とかもかかるし。でも札幌のほうがいいね。

有希:ギスギスしたものをみなくてすむから(笑)。

小林:北海道が好きだからね。

有希:離れたくないし。

ーモスから戻って開業までは?
小林:ずっとマイナス25℃の倉庫で働いていました。給料が良かったので。いまこの店内は15℃なんで、その頃に比べたら温度が高く、ましになったんです(笑)。

ーああ、だから真冬でもTシャツの袖をまくっているんですね(笑)。なるほど。北海道でやることの意味を考えたりはしますか?
小林:正直に言うとそこまで愛着があったわけではないんですが、フランスに行ってから。

有希:フランスで自然に触れ合う機会が多くなってからですね。ほんとに田舎で夜は街灯ひとつないところに住んでいたので、月明かりだけで、朝は鶏の声で起きて、そうしたらだんだん北海道が恋しくなってきて、自然のこととかアイヌのこととかへの思いが強くなりました。

小林:アラン・カステックス(南仏ルーション地方のバニュルスにあるドメーヌ『ル・カゾ・デ・マイヨール』の元オーナー)とかの自然への思いを聞いているうちに、ぼくらは北海道という、実は素敵な場所にいるんじゃないかなと思い始めて調べるようになりました。北海道に居ることでいろいろ手間も増えるんですけど、それを惜しまないというのが、喧嘩上等も含めて(笑)。

ー誰の手も借りないでフランスから輸入して、港から店まで自ら運ぶことも、なんだか北海道っぽいなと思います。開拓精神なのかな?
小林:開拓精神・・・。あ、そういえば不思議だなと思ったのは、『悦凱陣』がある香川の琴平町は、屯田兵だったぼくのおじいさんが北海道に渡る前に住んでいた場所という話があって。ぼくがたまたま凱陣が好きで香川に行ってくると言った時に、こんぴらさんというのはうちの先祖が居たところだからって教えてもらいました。

以上が小林さんご夫妻からうかがったお話をまとめたものだ。

つい先日、用事があって盛岡へ行く機会があったので『吟の酒きぶね』に寄った。小林さんの名前を出すと、オーナーご夫妻が「小林くんには、いつもはらはらさせられていました」と笑いながら言った。店の奥にはワイン・カーヴがあって、『二番通り酒店』の扱う自然派ワインを置いていたので、それを買って帰る。盛岡市内をぶらぶらしていたら「新渡戸稲造生誕の地」という道案内の札があった。そうか、盛岡は札幌農学校の2期生である新渡戸稲造の出身地だった。北大のキャンパスにある新渡戸の胸像の台座には「われ太平洋の架け橋とならん」と書いてある。小林さんご夫妻も北海道とフランスの架け橋となるだろう。

いまのぼくは、どこへ行ってもそこに北海道と関わりのあるものを無意識のうちに探し、そしてまた北海道へ行きたくなるのだ。

北海道らしさってなんだろう? 道産子マインドのルーツを探す旅 岡本仁

岡本 仁

1954年、北海道夕張市生まれ。大学卒業後テレビ局勤務を経てマガジンハウスに入社。『ブルータス』『リラックス』『クウネル』などの編集に携わった後に退社。2009年よりランドスケーププロダクツにてプランニングや編集を担当。著書に『今日の買い物』『続・今日の買い物』(ともにプチグラパブリッシング刊、岡本敬子との共著)、『ぼくの鹿児島案内』『続・ぼくの鹿児島案内』『ぼくの香川案内』(すべてランドスケーププロダクツ刊)、『果てしのない本の話』(本の雑誌社刊)、『ぼくらの岡山案内』(ランドスケーププロダクツ刊、坂口修一郎との共著)などがある。雑誌『暮しの手帖」『& Premium』でエッセイを連載中。

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